デザイン/アイデア/技術/ニーズ、念願のアイスソードかどうか
概要
時々自分たちの議論のテーブルにのぼる話題として、
「それを自分たちがやって楽しいか?」っていうのがある。
思う所あったので少し。主観でしかない。
アイスソードあんまり関係ない。
コレは素晴らしいアイデアだ!!
「本当にそうか?
それは誰にとっての素晴らしいアイデアだろう?」
「利益がこれだけ見込める、こんなにユーザーがついてくるはず、etc。」
「そうかい。
で、それって僕らがやらないといけない事?
もっと言うと、それって僕らがやるべき、追うべき、楽しみながら続けられる事?」
こんな会話を時々してる気がする。
内外問わず。主に外か。
否定ではなく、興味があるんだわ。
そのアイデアは、ちゃんと、いろんな照準をもっていて、
それぞれが出会ったものなのかどうか。
それは本当に念願のアイスソードですか?
ちょっと脇道に逸れて、いい○○って何だろう、的な話。
デザイン、アイデア、技術、といった言葉を、下記○○に入れてください。
何となくなんですけど、
「こんな○○出来た!! こんなこと出来そうだからやろう!!」
っていうのは、死の匂いがします。
技術だとNFCとか。もう最近でもないけど。
普及率とかとは別に、前後不覚になったボケ老人が骸をナデナデしてる感があります。
対でもなんでもないですけど、
「こんな○○があったのか!! これでやっとあの夢が叶う!!」
「こんな○○が出来た!! これでやっとあの夢が叶う!!」
っていうのは、とってもステキな夢の匂いがします。
何ていうか、素晴らしい普及をする「何か」には、ちょうどいい「邂逅点」がある気がするんです。
何の邂逅点か、っていうと、
叶えたい願い、解きたい問題、解きたい程度 を抱えている、当事者
と、
何かをなし得る○○
の、邂逅点です。出会うポイント、それぞれを中心とした円どうしが重なる特異点、って言っても良い。
このポイントがあるかどうか。っていうのが、ステキか、ステキでないか。
成し得る、というのは、ただのenabilityっていうか「可能にする能力」でしか無いので、
基本叶えたい人が一方的に「何かを成し得るもの」を探し、見つける話だと思っています。
ザックリ言うと、
何かをなし得る○○から、素晴らしさを享受する対象、当事者が存在するか? という事。
架空の使用者、数字の対象者でなく、自分たちがその当事者かどうか。
そして当事者として出会えたのかどうか。
出会えた自信が有るのなら、やっちまいましょう。
賛同者が居なくても大丈夫。
中には、未来生まれるであったろう問題点を、その問題点が生まれる前に抹殺してる、っていうド変態も居ます。
誰も頼んでなかったのに、「そう、これだよ!!」って言われる類いのモノたちです。
Appleとか。ディズニーとか。
すくなくとも作者が当事者属性持ってればOKなんじゃねーかなー。
「こんな無様な携帯電話使ってられるか、俺は理想のものを作り出すぞ、JoJo--!!!!」 的な。
「幻想がたりないでしょッッッッッッ!!!」的な。
駄目なデザインや技術やニーズは、その残念のど真ん中に「俺の考えたさいきょうのゆーざー」がいる気がします。
たいてい自分たち自身すらターゲットに含んでいない、マーケッターが弾いた数字から出す、ゴミみたいな何かです。
アイスソードを手に入れて、
「ねんがんの アイスソードを てにいれたぞ!」
こう言えるのは、ガラハドさんだけです。
我々の属性と、君が考えた素晴らしいことは、少なくとも数里先で邂逅してますか?
で、やっと話が戻るんですけど、
会社でやる場合、この中間点の話が、もう一歩複雑になるんだ、と思ってます。
簡単な話、登場人物に、「自分たちという会社」が増える。
組織体として目的があるし、それをする為にどんな組織かも存在するはずです。
ざっくりは。
このへんは、会社のアイデンティティーとか、Originについての話なんだと思う。
もし会社を擬人化したら、そいつがやりたがる事、とか考えると、想像するのがラクなのでは。
で、どうでしょう。
そのアイデア、会社さんとの邂逅点がありそうですかね? 好みそうですかね?
叶えたい願い、解きたい問題、解きたい程度 を抱えている、当事者
と、
何かをなし得る○○
と、
それが会社のアイデンティティー/Originと合っているかどうか
この三重の円の接点は有りますかね。
例えば本を通販で売る会社があって、アイデンティティーは「どんな手をつかってもこの本をユーザーの手元に」だったとする。
運送業しましょう! っていうアイデアが来たとして、これはまあ、合致しそう。
そうだね、確かに。僕らが運送もやれば、在庫管理しやすいし、客にもモノをより素早く届けられそうだ!
→後のAmazonである。 いや嘘ですけど。運送そのものはやってないです。 出だしはこんな感じじゃなかったでしたっけ。
今すぐ邂逅してる必要は無いし、最悪邂逅しなくてもやれば良いんじゃない?っていうのもある。
特に、数年後に邂逅するはずだから、やりましょう、とかは超萌える。
もしそれも無い場合、組織なんで、組織のOriginに反する/合流する予定も無いことは、させない方が良いんじゃないか。
って思う。
もしくはそこではないどこかで芽吹くべきものなんだろう、って。
ちなみに邂逅できなかったっぽい例で言うと、サービスとかだと上げやすいのでザクザクと、
AppleならPingとか、
GoogleならGoogle+とかAndroidとか。
「それって俺たちがやる必要あるの?」っていう問いに答えられる人が居るかどうか。
(いや実際は知らないよ? ただそう思えてならねーし今もってこの人たちがやる意味とか願望あるのかなーって思うだけ。)
Pingは、ユーザー間でのいいね! が育った所でAppleが得をするようには一切見えなかった。なぜ作ったし。
Google+は、今でも何の必要があってGoogleがやってるのか判んない。意図が見えねえ。得も見えねえ。
Androidは、、コレもGoogleがやる意図も得も見えねえ。
適当なVersionUpとか見てると、世界中の携帯機器メーカーとかデベロッパとかユーザーへのいじめなんじゃないか?
でもそう見ても意図がみえねえ。Win-Winの関係を持たない代わりに責任も持たないぜ、故に要求も却下、な関係。
邂逅する・しないに関わらず、やりたきゃやれば良いんだけどさ。
ただゴミ作ったり売ったりするのは勘弁な。